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CMCで働く仲間たち

INTERVIEW

  • 柔道整復師
CMC社員インタビュー|唐澤 翔
PERSON 03

唐澤 翔

院長

#院長#柔道整復師#最速院長#20代#サッカー#行動力#埼玉出身#1児の父
入社年次入社4年目
保有資格柔道整復師
出身埼玉県さいたま市岩槻
院長就任入社3年目

自己紹介

入社3年目で院長へ。CMC最速クラスのスピード出世を遂げた、20代の若き院長。

2002年生まれ、埼玉県さいたま市岩槻の出身です。東京医療専門学校を経てCMCに入社し、現在4年目。入社3年目で院長に就任しました。これは、最近の中ではかなり早いペースだと思います。

院長チャレンジ研修は1年目から受けられるのですが、入社1年目で受けてもなかなか合格は難しい。それでも僕が最速で院長になれた理由は、シンプルです。「行動力」。「これをやって、こうなれば院長になれる」という道筋が明確にあるなら、あとはやるかやらないか、それだけだと思っていました。

正直、入社して大変だったことはあまりありません。入社したとき、高校に入学した時と同じように、「どうすれば結果を出せるか」をとことん分析しました。すると、CMCでは「熱量のある人、メラメラしている人」が結果を出している、ということに気づいた。だから自分も、その姿に近づいていった。そう動いてきたら、自然とここまで来ていた。今は院長として、自分自身が「CMCの看板」になることを目指しています。

QUESTION 01

Q. 入社3年目での院長就任。最速で駆け上がれた理由は?

道筋は明確だった。あとは「やるか、やらないか」

最速で院長になれた理由を一言で言うなら、「行動力」です。

CMCには、「これをやって、こうなったら院長になれる」という道筋が明確にあります。だからこそ、迷う必要がない。勉強して、自分の武器を作って、院長になるための試験に合格すればいい。もちろんプレッシャーはありますが、結局は「やるか、やらないか」だけなんです。

入社したとき、高校に入学した時と同じように、「どうすれば結果を出せるか」をめちゃくちゃ分析しました。そこで気づいたのは、CMCでは「熱量のある人、メラメラしている人」が結果を出しているということ。もともと自分は、そういう「メラメラした存在」が好きなタイプ。だから迷わず、その姿に自分から近づいていきました。

実は院長就任の1ヶ月前は、育休を取っていたんです。その状態からリニューアルオープンを成功させるために、スタッフにタスク表を送り、「○日までにこれを」とスマホで細かく管理していました。ここまでできるようになったのは、親の育て方が大きいと思います。基本的に何でも自分任せで、全部自分でどうすればいいかを考える必要があった。そうやって、効率性が磨かれていったんだと思います。

QUESTION 02

Q. 順調に見えて、壁はなかったのですか?

「自分だけ頑張っても、スタッフはついて来ない」

正直に言うと、辛かったこともあります。

僕はメラメラと闘志を燃やしたり、ガツガツやったり、ビッグマウスで話したりするタイプ。でもそうしていると、先輩から圧をかけられることがあるし、いつの間にか謙虚さを失ってしまう。そんなとき、先輩にガツンと言われて、鼻をへし折られたんです。あの経験で、少しだけ協調性を得ることができました。

一番のギャップは、院長になってからです。何しろ後輩指導歴ゼロの院長が誕生したわけですから。「院の売上、昨対比200%」を掲げたのに、結果は150%。プレイヤーとして個人成績なら200%はいけたのに、組織になった途端、それができなくなった。

もともと僕は、自分のやっていることを言語化するのが苦手なタイプでした。だから、自分が考えていることを全部、紙に書き起こすようにしたんです。そうしたら、少しずつ変化が生まれてきた。「自分一人が頑張る」から「チームで結果を出す」へ。今、その途中にいます。

壁と向き合う唐澤先生
QUESTION 03

Q. CMCを「パワースポット」だと感じるのはどんなときですか?

仕事の話のはずが、いつのまにか「人生の話」になる

「心から動かされること」が、僕にとってのパワースポットだと思っています。CMCには、上辺だけの関わりじゃなく、心から仲間のことを思ってくれる人が多い。仕事のことだけでなく、人生について話してくれる人がたくさんいるんです。

象徴的だったのが、院長になったときの給料の話です。本社の人と給与面の話をしていたはずなのに、いつのまにか人生の話になっていて。「子どもは何人くらい作る予定なの?」「うちの会社が、あなたの人生を支えるから」と。会社の給料の話のはずが、その前提として、僕の人生そのものを考えてくれていた。

そのとき、「CMCは、スタッフ一人ひとりの人生を本気で考えてくれているんだな」と実感しました。これこそが、僕がCMCをパワースポットだと感じる瞬間です。

入社前の遍歴

全盛期の小学生時代、最初の挫折、そして人間関係を“設計”する力を身につけるまで。

小学生時代
本人いわく「ここが全盛期」。サッカーが上手く、人生が一番思うように動いていた時期。人が自然と集まってきて友達も多く、元気はつらつで周りに元気を与える存在だった。サッカークラブでは副キャプテン、学校では体育委員も。率先してリーダーというより、自然と中心にいるタイプだった。
小学生時代の唐澤先生(サッカークラブにて)
中学時代
人生で最初の挫折を経験。小学校時代の感覚で仲の良い先輩になれなれしく接したところ、先輩後輩の“洗礼”を受け、サッカーでも激しく当たられた。だが本人は「めちゃくちゃ良い経験だった」と振り返る。「人間関係は勝手にできるものではなく、自分で作っていくもの」と気づき、以来、人との関係を強く意識するように。クラブチームは相当キツく逃げ出したくなったが、3年間続けたことで精神力が鍛えられた。
高校時代
小・中で学んだことを最も活かし、楽しめた時期。「この人と仲良くなれば、この人とも繋がれる」と、学校の人間関係の相関図を考えながら友達を作っていった。おかげで、今も一番仲の良い友人は高校時代にできた仲間たち。地頭が良く、テスト前の10分で一気に勉強して乗り切るタイプだったが、テスト期間の“資料集め”の感覚は、今の院運営にも活きていると感じている。
医療家を志した
きっかけ
将来へのずっと続く不安があり、「手に職をつけないといけない」「国家資格を取りたい」と考えていた。そんなとき、高校時代に出会った理学療法士に相談。「どれが一番稼げますか?」と尋ねたところ、「柔道整復師」という答えが返ってきた。それが、この道を選んだきっかけだった。

入社後の遍歴

就職先が突然消えた就活、そして“最速院長”への道。

CMCとの出会い
(就職活動)
実は、最初からCMCを志望していたわけではなかった。別の某接骨院を受けており、本人は内定をもらったつもりでいた。ところが国家試験3日前になっても連絡がなく、確認すると「内定にはなっていない」との返答。突然、就職先がなくなってしまったのだ。だが、その企業の採用担当が別で紹介してくれたのがCMC。国家試験後に採用担当と話し、入社3年目で稼いでいる先輩や、成り上がっている人の話を聞いて、闘志がメラメラと燃え上がった。
スタッフ時代
入社時に「どうすれば結果を出せるか」を分析し、CMCでは「熱量のある人・メラメラしている人」が結果を出していると気づき、その姿に近づいていく。一方で、闘志を燃やしガツガツやっていると先輩から圧をかけられることもあり、謙虚さを失いかけたところを先輩にガツンと言われて鼻をへし折られる。この経験で協調性を学んだ。
スタッフ時代の唐澤先生
院長就任
(入社3年目)
CMC最速クラスのスピードで院長に就任。就任1ヶ月前は育休を取得しており、復帰後すぐにリニューアルオープンを担当。スタッフへタスク表を送り、スマホで進捗を細かく管理してやり切った。一方で、後輩指導歴ゼロからのスタートで、「自分だけ頑張ってもスタッフがついて来ない」というギャップに直面。掲げた昨対比200%は150%という結果に。考えを紙に書き起こして言語化することで、少しずつチームに変化を生み出している。

CMCの「看板」になる。誰もが憧れるスターを目指して

これからの目標は、会社の広告塔——つまり「スター」になることです。

今のCMCには、「CMCといえば、この人」という象徴的な存在がいない。若手が入ってきても、「一番に憧れる先輩は?」と聞かれて、パッと名前が挙がる人がいないんです。先輩たちはみんな“医療家すぎて”優しい。それはそれで本当に素晴らしいことなんですが、一人くらいは、もっとガツガツやって、看板になるくらいの存在がいてもいいんじゃないか。

だから、それを自分が目指したい。CMCの顔になって、後輩たちが「あの人みたいになりたい」と憧れる、そんな存在になっていきたいと思っています。

未来を見据える唐澤先生
WHY CMC

安定した土台の上で、
思いきり挑戦して、
結果を出して、返ってくる。

なぜ、独立せず CMC で挑戦し続けるのか

独立は、考えていません。理由はシンプルで、リスクを背負いたくないから。

CMCは安定している。その中で、成果を出せばしっかりリターンがある。だったら、わざわざ独立する必要性を感じないんです。安定した土台の上で、思いきり挑戦して、結果を出して、返ってくる。僕にとっては、これがいちばん理にかなった働き方だと思っています。

CMCで、人の人生に関わる
仕事を。

※社員の所属・役職・その他の情報は、本記事掲載開始日時点のものです。