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CMCで働く仲間たち

INTERVIEW

  • 柔道整復師
CMC 社員インタビュー|入江 祥隆
PERSON 02

入江 祥隆

マネージャー/院長

#マネージャー#院長#柔道整復師#中途入社#整形外科出身#大学卒#バレーボール#2児の父
入社年次2012年入社(中途)
保有資格柔道整復師
出身東京都
前職整形外科(3年間)

自己紹介

「ここは医療だ」——その確信が、入江を CMC へと導いた。

整形外科で柔道整復師として3年間経験を積んだのち、2012年にCMCへ入社しました。SBC東京医療大学(旧・了徳寺大学)の出身で、柔道整復師の資格は22歳のときに取得しています。

もともとは「いつか開業したい」という想いを持って、この業界に飛び込みました。転職活動をする中でCMCを選んだ決め手は、はっきりしています。当時から「医療」をしっかり前面に打ち出していた会社だったから。電気を当てるだけ、マッサージ何分いくら——そういう“THE整骨院”ではなく、「目の前の人を本気で治す」場所がここにはあると感じたんです。

現在は院長、そしてマネージャーとして、業績づくりとスタッフの成長支援の両方に向き合っています。「自分の幸せ」が、いつしか「スタッフの幸せ」に変わってきた。それが、今の自分のいちばんの原動力です。

入江先生
QUESTION 01

Q. 「ここで働きたい」と思った決め手は何でしたか?

「医療をやっている会社」だと、確信できた

中途で入社したので、何社も回るつもりはありませんでした。「大手で実績を作って、開業する」。そう計画していたので、選ぶ基準は明確だったんです。

数ある中でCMCを選んだのは、当時から「医療」をきちんと前に打ち出していたから。他の多くの院は、正直に言えば“治す”というより、電気を当てるだけだったり、「マッサージ○分」と張り出していたり。それを見て「これは医療じゃないな」と思っていました。

その点でCMCは違った。だからこそ「ここなら、自分が目指す医療家になれる」と確信できたんです。

入江先生
QUESTION 02

Q. 転職して最初の上司は、どんな方でしたか?

「人を治してなんぼ」——鼻をへし折ってくれた、最高の師匠

入社して最初に配属されたのは、阿佐ヶ谷の中央接骨院。そこで出会った院長が、とにかく衝撃的でした。

「金儲けのために患者さんを呼ぶなんてありえない」「人を治してなんぼだろう」。目の前の患者さんを治せない人はヤブ医者で、それは医療じゃない——そう言い切る、本気で医療家を目指している方でした。厳しかったですが、言っていることも、行動も、心から尊敬できた。転職一発目の上司としては、最高の人に出会えたと思っています。

整形外科出身の柔道整復師ということで、正直、当時の自分は少し調子に乗っていました。そんな僕に「言ってる割に、治せてないじゃん」と、しっかり鼻をへし折ってくれた。やった方がいいことと、絶対にやってはいけないことを、人として教わりました。

たとえば「信号無視をするような先生に、患者さんはついてきてくれるか?」という話。院の中だけでなく、院の外での振る舞いこそが大事なんだと。その院長は社主のお弟子さんの、そのまた弟子という立場の方で、会社の理念やフィロソフィに触れる機会が人一倍多かった。毎日1時間くらい、ご自身の実体験をもとに理念を語ってくれたんです。あの時間が、今の僕の土台になっています。

QUESTION 03

Q. CMCを「パワースポット」だと感じるのはどんなときですか?

けがを治すだけじゃない。エネルギーを届け合える場所

CMCって、カーテンを閉めないんです。ベッドがあれば、隣の患者さんからも丸見えの状態。患者さんが入ってきたら元気よく挨拶して、院の周りもしっかり掃除して、ご近所にも挨拶する。この開けた空気感が、パワースポットの一つだと思っています。

体の不調は、心の不調でもある。だからこそ、技術でけがを治すことはもちろん、患者さんに寄り添ってエネルギーを届けることを大切にしています。

そして不思議なもので、それは一方通行じゃないんです。自分の体調が良くないときや、家でうまくいかないとき——そういうとき、患者さんの方が気づいてくれる。心配して、わざわざ家までお茶菓子を持ってきてくれたり、ご飯を作ってくれる患者さんもいる。逆にこちらが元気づけられる。これこそが、僕にとってのパワースポットだと感じています。

入江先生

入社前の遍歴

ストレスフルな少年時代、無償の愛をくれた祖母。すべてが、医療家・入江をつくった。

幼少期〜
小学生時代
幼稚園受験を経て、国立の幼稚園へ。高校までエスカレーター式だが、進級のたびに試験があり、落ちれば終わり。幼い頃から、そんなプレッシャーと隣り合わせだった。そのストレスを解消してくれたのが野球。たまたま親とよく野球で遊んでいたのがきっかけで、小学生から始めた。体が大きく、キャプテンを任されることも多い“野球三昧”の日々。
中学生時代
リトルリーグで野球を続けながら、学校の部活ではバレーボールを選択。すると、こちらにのめり込み、バレーボール一本に絞ることに。「やらされていた野球」から「自分で選んだバレーボール」へ。自分の意思で選んだスポーツだったからこそ、夢中になれた。
大学時代
バレーボール部の代表(キャプテン)を務める。専門学校ではなく大学を選んだのは、「社会人になる前に、いろいろな社会勉強がしたかった」から。ジムのインストラクターや百貨店など、普段なら経験できないようなアルバイトにも積極的に挑戦した。
医療業界を
志したきっかけ
実家の近くに祖母の家があり、習い事でストレスを抱えていた幼い入江は、よく祖母の家へ逃げ込んでいた。そこで重ねた祖母との対話の中で、「高齢者の力になれることはないか」と業界を志すように。ちょうどその頃、祖父が脳梗塞で倒れたことも、背中を強く押すきっかけになった。
祖母との
忘れられない記憶
祖母は、自分のすべてを受け入れてくれる存在だった。親に買ってもらえなかったおもちゃを買ってくれたり、とにかく自分の味方でいてくれた。この“無償の愛”を受けて育ったことが、自分の人生観に大きく影響していると感じている。

入社後の遍歴

整形外科からの転職、そして CMC でスタッフ・院長・マネージャーへ。

前職
(整形外科)
ゆくゆくの開業を見据え、レントゲンやMRI、薬といった医療を学ぶため整形外科に就職。柔道整復師として、リハビリや外傷の処置など医師のサポートを3年間担当。当時の看護師さんから、遅刻時の事前連絡といった“報連相”を含む社会人の基礎を叩き込まれ、「社会人になった」と実感した時期。
CMC入社・
スタッフ時代
阿佐ヶ谷の中央接骨院に配属。最初の院長を師匠に、理念とフィロソフィを浴びるように学ぶ。一方で失敗も多く、「患者さんを良くできない」悔しさに、院長と話しては涙したことも。その悔しさをバネに先輩へ質問を重ね、仕事に没頭。やがて失敗は減り、患者さんとお食事に行けるような間柄に。人に関心を持ち、偉ぶらない人柄で、可愛がってもらえたことが何より嬉しかった。
院長時代
(入社5年目〜)
本当は3年目で院長になりたかったが就任は5年目。「早く管理職になりたい」という想いが強く、やや尖った院長に。結婚もこの時期に重なり、業績向上・タイトル獲得・スタッフのサポートと、やりたいことが多すぎて常に焦燥感と隣り合わせだった。物理的にはパンク寸前だったが、他のスタッフや院長に助けられ、精神的には乗り切れた。
マネージャー時代
(院長4年目頃〜)
マネージャー業務を任され、「自分だけではダメだ」と痛感。教科書もない中、先輩たちが一気に抜ける局面も。そんなとき近藤葉澄社長が改革を進め、マネージャーとして共に取り組みを推進。まさに“開拓”の連続だった。院長・マネージャーになって良かったのは、「お金が理由でできなかったこと」ができるようになったこと。自分の想いをスタッフに伝え、自分ならではの院を作り上げられるようになった。
入江先生 マネージャー時代

スタッフの目標を、自分の手で叶えていきたい

院としては、業績はもちろん、スタッフたちの目標を叶えることが目標です。「院長になりたい」というメンバーも多いので、その夢を叶えるサポートをしていきたい。

そして自分自身も、もっと広く全体を見るポジションを任される可能性があります。いつでも任せてもらえるように、準備をしておきたい。今は、スタッフの幸せが、そのまま自分の幸せになっている。だからこそ、そういう援助ができる自分であり続けたいと思っています。

入江先生
WHY CMC

一人でやってもつまらない。
仲間と楽しく治療する方が、
自分の性に合っている。

なぜ、開業せず CMC に残るのか

もともとは開業したくてCMCに入社しました。祖母がきっかけで「高齢者のためにこの業界を良くしたい」と思っていたんです。

でも、実際にやってみて気づいた。この業界は、高齢者がすべてじゃない。子どもも、20代の若者も、あらゆる世代の方を良くできる。それができるのがCMCの良さだと感じたんです。

それに、一人でやってもつまらない。一人で経営の数字を見ながら、寂しく治療をするよりも、仲間と楽しく治療したり、マネージャー業に取り組んだりする方が、自分の性に合っている。そう思えたから、今もここにいます。

入江先生

CMCで、人の人生に関わる
仕事を。

※社員の所属・役職・その他の情報は、本記事掲載開始日時点のものです。